ブランディングの仕事をしているとき、
コンセプトを決めましょう
お客様を決めましょう
商品を決めましょう
などなど、口にすることが多い私。
決めるとどうなるか。
決めると進むし、そこからまた広がっていく。
それを実感していただきたくて「決める」をお伝えしているのですが、一方で、人生においてはその逆もあるのかなと思うのです。
それは敢えて「決めない」という選択。
価値観の成長
何かを「決める」ときの基準になるのが自分の「価値観」と言われるもの。
これが好き、これは嫌い。
これは正しい、これは正しくない。
自分の価値観に照らして、物事を判断していく。
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でも。
この自分の「価値観」自体が、変わっていっていることに気づくこともある。
この前まで「素敵」と思っていたことが「素敵」と思えない。
この前まで「この軸で判断」していたことが「この軸だけでは判断できない」。
これは、価値観が「変わっていっている」ように思えますね。
でも、懸命に生きている人に訪れるこの価値観の変化は、
価値観の成長
ではないかと思うのです。
それは、今までの価値観と少し違う。
けれど、何かを選択したときに、自分の中で、「より納得性が高まった。」
そう感じられたら、価値観が成長しているのかもしれません。
では、なぜ「価値観の成長」がおこるのでしょう。
感情の分化がもたらす未知の世界
価値観が成長を続けているとしたら。
その要因のひとつは、
<感情の分化>
なのではないかと思うのです。
人は、生まれたての赤ちゃんの時には、
快 不快
の2つの感情しかありません。
そして、その表現も、泣く、笑う、とシンプルでストレート。
それが、成長と共に、様々な感情が生まれてきます。
ブリッジズの分化図式(Bridges,1932)によると、生後6か月後には不快から怒り・嫌悪・恐れが分化し,基本的な感情が育ちます。
1歳頃には快から愛情・得意が分化され,5歳ほどで大人の感情が成立するとされています。
確かに幼児でも、寂しさ,期待、嫉妬、満足、達成感など様々な感情を持っていますよね。
さらに成長するにつれて、優越感や、劣等感、自己満足感なと「自分」に対する感情も様々に育ってくると思います。
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初めて好きな人ができたとき。
その感情は、今まで味わったことのないものだったと思います。
そして、別れが訪れたときの複雑な気持ちも。
それでもまた、自分が満たされるパートナーと出会ったときの気持ちも。
仕事で失敗したときの気持ち。
誰かの助けを受けたときの気持ち。
自分の子供が結婚する時の気持ち。
孫を抱いた気持ちとか。
その時になってみないと、わからないですね。
このように、様々な「体験」とセットになって、大人になってからも、感情は分化し続けているのではないでしょうか。
より繊細に、より複雑に、より味わい深く。
たとえば「食べ物」に例えると。
春の山菜の苦みと爽やかさが同居した味わいが、大人しかわからないように。
お酒と珍味をあわせて楽しむ味わいが、大人しかわからないように。
ケチャップ味や、マヨネーズ味以外にも、無数の「感覚」と「選択肢」があることを知っていきますよね。
同じように、より複雑に細分化された「感情」。
言葉にならないけど、確かにある感情。
その感情を、どのような言葉であらわせばいいでしょうか。
これは。。。
なんともいえない気持ち。
これ以外の表現はないかもしれません。
なんともいえない世界の価値観
なんともいえないとは。。。。
なんともいえないですね。
比較できない、参照できない、再現でいない。
それが、
なんともいえない
世界なのだと思います。
でも、大人になってわかること。
世の中のほとんどは、実は
なんともいえない世界
であるということです。
そう考えると、最初にお伝えした「価値観」は、このなんともいえない感情によって日々進化、成長しているといえるのではないでしょうか。
昨日のOKが、今日は、「どうかな?」と思う。
昨年の自分の決断を、撤回してもいいかな?と思う。
これでよいのだと。
なんともいえない世界を味わったからこそ、「今の価値観」があり、「今」を「今の自分 今の価値観」で眺めていく。
その方が、すべての選択に満足度が高まっていくと思うのです。
私の価値観は〇〇だから。
そのように頭にインプットされた言葉をちょっと味わいなおして。
すこしづつ変化する価値観を確認してみる作業も、時には必要ですね。
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決めない勇気
なんともいえない
を知ると、ちょっと心がおだやかになります。
ものの善悪も、
正解不正解も、
あるようでないのだと。
そう思うと、
決めなくていいんだ。
という新しい選択肢があらわれます。
どうなんだ?
どうすればいいんだ?
誰が悪い?
私はどうすればよかった?
そんなことをグルグルと頭の中で繰り返し考える必要がなくなります。
ジャッシしない。
決めない。
つまり。。。
決めない、ということを決める。
これも実は勇気がいることですよね。
決めた方が、ことは早く動き出す。
決めた方が、スッキリするかもしれない。
でも、自分の満足する世界が、決めることにないとしたら。
決めないのも、よいと思うのです。
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不思善悪
禅には、物事に「白黒つける」という発想がないそうです。
「不思善悪」という禅語があります。
これは「善悪を考えるのはやめなさい」「二元論的な分別心を捨てなさい」という意味。
つまり「いま、このときしかない経験をさせていただいている。その経験自体には、いいも悪いもない。今後の行動・努力しだいで、なんだってプラスになる」という考え方だそう。
参照)放っておく力 枡野俊明著 三笠書房
中国の陰陽の考え方も、陰と陽に二分できるものではなく、その図式が示すように、陰陽が常にバランスをとることが大切だといいます。
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長く受け継がれる考え方には、生きる知恵が隠れているとしたら。
「決めない」なかに、本当に追うべき真理があるでしょう。
以下、前出の「放っておく力」からの抜粋です。
人生は、「やってみなければわからない」ことの連続だ。
いくつかの選択肢があるとき、あわこれ迷い、正解を選ぼうとすることに意味はない。
「何を選ぶか」より「選んだことをどうやるか」のほうが大切だ。
著者は、曹洞宗の住職であり、庭園デザイナーや大学教授という顔も持つ方。
「決めなかった」からこそ、それだけマルチにご自身の才能を開花させることができたのかもしれませんね。
フォーカスする
もはや、「決めない」と決めたら。。。
進むべき方向や、やるべきことは、どうすればよいのでしょう。
そこで、ブランディングのお話でもよく使っている言葉
フォーカスする
の登場です。
今ここ と思う1点をフォーカスして。
スポットライトをあてて。
集中する。
全体を残したままフォーカスをしているから、焦点を、変えることもできる。
今、心地よい。
今、必要なこと。
決めないからこそ、そこに思い切りフォーカスすることができる。
それは、とっても自然で柔軟な作業。
フォーカスして、濃い点を、しっかりと打っていく感じ。
そして、点と点が連なって線になっていくのでもいいのでは?
それはそれで、「成し遂げた」ことになるのでは?
「人事を尽くす」という言葉は、「放っておく力」の真髄だ。
いい結果が出るかどうか心配したり、他人の評価を気にしたりせず、ただひたすら自分の持てる力を注ぎ込んで、物事に必死に取り組む。
やるだけのことをやったら、放っておく。天の采配に任せる。そういうスタンスである。
あなたにできるのは人事を尽くすことだけで、結果がどうなるかを決めるのはあなたではない。
ベストを尽くしたあとは、心をわずらわせることなく、すがすがしい気分で天命を待てばいい。
引用)放っておく力 枡野俊明著 三笠書房
大事なものを見失わない
結局は。。。
決めるのが正解か
決めないのが正解か
すら、決めなくていいよね。
って、まさに禅問答みたいになってきましたが。
ポイントは
一番大切なものを見失わないこと
だと思うのです。
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それができていれば、
それができるやり方であれば、
決めなくて問題ないのだと。
様々に状況が移り行き、
自分も成長する中で、
大切なことを大切に。。。
そうすれば、決めるか、決めないかの判断が自ずからできるようになりますね。
そもそも「決めなければならない。」は、外部からの指示や、情報からの影響によるところも大きいもの。
自分の中の大切を大切に。
「決めない」を「決めた人」は、自分に素直でしなやかです。
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