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藤崎のこれまで。これから。

それぞれの生き方暮らし方働き方
その一つ一つが美しい
私の場合はこんな感じです。

ブランディングコンサルタント セルフデザインコーチ
国家資格キャリアコンサルタント
藤崎 晶子

江崎グリコ、日本マクドナルドで、食品のプランナー、マーケターとして、またSANA(ノエビアグループ)で化粧品の企画担当者として等、会社員として13年間勤務し、企画、コピーライティング、プレゼンテーションのスキルを磨いた。その後、色彩・心理学・マナー・メイクアップを学びイメージコンサルタントとして独立。
オリジナルメソッド <セブンシーズン>で、2000人以上のブラッシュアップコンサルティングをおこなう。
18年続くイメージコンサルタントプロ養成スクールでは多くの起業家を輩出。卒業がスタートを合言葉に、夢をかたちにしていく過程も支援している。
また、阪神淡路大震災の被災で家や家財道具一切を失った経験や、40歳での出産後長く体調を10年にわたり崩した経験から、自分の意志で自分を形作る セルフデザインの大切さを実感。セルフデザインの事業をスタートさせた。
現在の事業の柱は<経験の価値化>。
RASHISAブランディングゼミでは、フリーランスのアイデア力・表現力を磨くレッスンを。
法人向けには、組織やサービスのブランディングコンサルテンィグと共に、スタッフのブランデイング、ブラッシュアップ研修、コーチングも多く実施。
受講者が3人でも、300人でも、同じように「対話」するような独特の講義形式が好評を得ている。
著書 イメージデザイン入門 PHP出版
研修 講演実績

平坦ではなかったけど、
夢中になったことがあった    沢山の笑顔があった
いつも誰かが支えてくれた
引っ越し16回  転職7回  結婚2回
藤崎晶子のストーリー

【幼少期~学生時代】
幼稚園児のことから俳句をつくり、好きな色は「紫」と、言葉と色に独特の感性を持つ幼少期を過ごしました。覚えている限り一番古い記憶は、当時住んでいた江田島で、自衛隊で勤める父に抱きかかえられて海を見ていた場面。
その後、京都の長岡京市を経て、7歳より神戸で暮らしました。
年子の姉と、共に、すくすくと成長していましたが、生活が一変したのが高校時代。
父が経営していた会社が倒産し、大学が決まっていたものの一家離散となり頼れるところがなくなるという事態に。多くの助けを得て、大学に通うものの、バイトに明け暮れる日々。それでも楽しくそれなりにバブルの恩恵を受けたと思います。
【就職してからの激動】
関西で、菓子メーカーの企画の職につき、マーケティングを習得する日々。
が、25歳の大失恋を引き金に、転職し東京へ。
外資系食品企業で、商品開発、マーケティングを担当しました。20代、東京での一人暮らしを謳歌するも体調を崩して関西へ。
そこで、阪神淡路大震災に被災。怪我はなかったものの家は全壊に。職もなく、家もなく、何もない状態になりました。
小学校での避難生活のあと、山口県での1年間の疎開生活。その後、再び単身東京へ。
数十社の就職活動ののち、化粧品会社のプランナーの仕事につきました。そこでは、リップやチークの色を決めなければならない立場なのに色がわからないことに愕然。疎開生活の1年間は、グレーや黒ばかりを着る日々だったので。。。
一念発起して色彩を学び始めました。
楽しくて、楽しくて、自分自身も多くの色彩の恩恵を受けることに。
【独立しよう】
その後、社内結婚し、マーケティング会社に転職。
飲料をはじめ、様々な商品の企画に携わりました。
数年後、学んできた色彩を活かして、起業することを決意。
ただ、起業するべきかどうかは大いに悩むことに。
それは、離婚と同時だったから。
はたして独立して食べていけるのか?
会社員でいた方がよいのでは?
逡巡して出した結果は。。。とにかくやってみよう!
不安よりも、前に進みたい気持ちが強く、お気に入りのi-macでホームページをつくりはじめました。イメージコサルタントとしてスタートしてみると、今までの企画やプレゼンテーションの力を活かすことができ、個人のお客様、法人のお客様にも恵まれ幸せなフリーランス生活に。
独立前にたてた<40歳の夢の企画書>は、夢中になっているうちに全て叶っていきました。青山のサロン、多くの生徒さん、お客様、海と山の見える家、絶えることのない取材や執筆依頼。40歳で出産し、猛烈な忙しさと充実感の中、40代前半を迎えることに。

ところが。。。
そこから、様々な無理がたたって、ここから長く、体調を崩すことになりました。
病院通いの日々、身体は常にだるく、顔は赤く腫れて人前にも出られない。
そんな日々が長く続きました。
それでも、何かしたいともがくほど空回りして。
【私が嬉しいことは何だろう】
それまでの私は、仕事や生活を楽しみながらも、どこか「お相手が喜んでくれること」だけにフォーカスをしがちでした。
だから、無意識のうちの我慢したり、無理をしたり。
でも、みんなそんなものだろうと。
だけど。
私が本当に幸せだと思う時間って何だろう。
大切なものを犠牲のしてるのでは。
そこから「私らしさ」の追求が始まりました。
遅いスタートです。
でも、自分のやりたいことを言語化するうちに、スッと肩の荷がおりて、本当にやりたいこと、本当に貢献すべきことが見えてきたのです。
【私が貢献できる価値は何だろう】
見渡すと「私らしさ」を見つけたい、表現したい、という方が多くいらっしゃいました。
そこで、私が得意とするコンテンツメイクやコピーライティングで、そのお手伝いをするように。
経験として培った、商品のブランディング、受講生の起業ブランディングに加え、自分自身が体験して乗り越えた「自分らしさがわからない」の壁の越え方を。
自分を夢中に楽しむ人を増やしたい
自分を大切にあつかう人を増やしたい
自己表現の楽しさを広めたい

そんな私の活動は、一言で言うと
<経験の価値化>
全ての経験を価値にして、自分自身にフィードバック、社会にフィードバック。
そのことによる自己効力感は、やわらかな笑顔と、日々の安心感を連れてきてくれます。

これでいいんだな。
私でいいんだな。
私自身、色々あった人生の経験の全てを価値にして。
これからも、丁寧に伝えていきたいと思います。